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全27篇 / 2020—2026


お盆
今年の夏は、日本の気候が別次元に移行したのではないかと感じさせる酷暑です。地震や豪雨などの自然災害も多く、のんびりした夏休み気分とはほど遠いなか、世の中はお盆休みに入りました。我が家は江戸の昔から先祖代々東京暮らしなので、私には ”帰省” という経験がありません。生まれ育った土地を離れて生活している人たちが故郷に帰るときの懐かしさや安心感を想像すると,羨ましくもあります。帰省して親戚の人たちと集まったり、お墓参りに行ったりという昔ながらの過ごし方をする人が、今の時代にどれくらいいらっしゃるのかはわかりません。夏季休…
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父と子
明日は《父の日》です。私の父は父親っ子だった印象があります。祖父も父も互いに照れる人なので、いかにも”仲良し”という振舞いはなかったものの父は自分の父親を敬愛していて、永六輔の考え方、生き方の根幹に、僧侶だった祖父の精神が大きくあったことは確かです。今回は「父と子」についての雑感まずは祖父、永忠順のエッセイ(1976年)から今にしてふりかえってみると、 わたしなど、あれもこれもと思いながら、 子どもたちに対して、何ひとつ満足なことをしてやれたことはありません。 自信がないと言われれば、そうかもしれないけれど、 自信…
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父からの伝言
ゴールデン・ウィークに紛れ込んであまり意識されていないかもしれませんが、今日、5月3日は憲法記念日。 父は小学校時代をまるまる戦時下で過ごした世代です。 戦後新しく「日本国憲法」が発布された時、そのなかで 日本はもう二度と戦争はしない、と明言されていることが 心から嬉しかった、と言っていました。 「戦争の放棄」を掲げる第9条は、 戦争でボロボロになった日本人に 深い安堵と明るい未来を感じさせてくれたに違いありません。 六輔はその昔、まだ30代の頃に深夜放送のラジオで、 「日本国憲法」の全文を読み上げたことがあります…
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「変だ」と思うこと
2022年になったのはついこの間のことなのにもう今年も6分の1が過ぎようとしています。(毎年、2月の終わりに同じことで驚きます・・・)少しずつ春の気配を見つけることができるようになってくる時季ですが世の中を見回すと、国内外で新型コロナが相変わらずおさまらないだけでなく心穏やかでいられないことがたくさん起きています。現代は、私たちが生きる社会についても政治についても国際情勢についても、様々な情報が入ってきます。そういうなかで、自分は何を思うのか、どう感じるのかそして何かできることはあるのかないのか、あるとしたら行動す…
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お話し供養
今年は、母が他界してちょうど20年になります。永昌子は、11月6日生まれで、六輔と結婚し、1月6日が命日・・・”6”という数字に縁がある人だったようです。昌子はつねに前向きで打てば響くように頭脳明晰、周りを惹きつけずにはおかない人でした。22歳だった六輔は大学時代から放送作家として多忙な中、テレビ局の廊下で女優デビューしたばかりの昌子を見かけて一目惚れ。「キミは女優よりもボクの妻になるべき人だ」と強引に説き伏せて、かなりの速攻で結婚。以来、娘の目から見ても感心するほど妻に対して生涯変わらぬ惚れ込みようでした。本人に…
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ラジオの話
父は、今振り返ってみても、実にいろいろな分野で活動していた人でした。いわゆる「肩書き」を訊かれると考え込んでしまいます。メディアで目立ち始めた20代の頃の父を紹介する昔のテレビアーカイブ映像を見たことがありますが、「職業は”永六輔”」とナレーションが入っていました。ずいぶんとカッコいい表現をしてくれていますが、当時からそう言うしかないくらい雑多な活動をしていて説明のしようがなかったということでしょう。本人もそれはわかっていてだから「この道一筋」という生き方の人たち、職人さんや芸事で鍛錬して技を極めていくような人に憧…
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親としてできること
当たり前のことですが、子供は親の影響を受けて育ちます。六輔は特に、その父親からの影響が大きかった人だと思います。そう言うと、祖父は影響力を行使する人だったみたいに聞こえるかもしれませんが、むしろ全く逆でした。六輔の生家、《寿徳山 最尊寺》は江戸時代、元禄より前から浅草で続く浄土真宗の寺です。祖父、永忠順は最尊寺の十六代目の僧侶でした。「学僧」と呼ぶのがぴったりの勉強好きで物静かな人でしたが、下町育ちですから寄席にも通いますし、シャレのわかる飄々とした風情のお坊さんでした。6人兄弟の次男だった六輔は、父親を大変尊敬し…
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焼け跡の少年たち
毎年8月になると戦争を振り返るドキュメンタリーやドラマが放送されます。 心がかき乱されますし、正直言って見るのは辛いですが、 今年もできるだけたくさん見て過ごしました。 年に一度でも、こうやって自分の ”戦争アレルギー” を強化するのが 私の年代にできるせめてものことだと思うので。 父も母も、小学生時代が丸ごと戦争。 考えてみると、両親からは戦争中の話よりも戦後の話を 多く聞かされた気がします。 子供の目から見た戦争中の生活は 思い出したくも話したくもなかったのかもしれません。 父がよく話していたのは、渥美清さんの…
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手紙
父の命日、7月7日が近づいてきます。父が残した言葉を、どなたかが心に置いていて 私たち家族に伝えてくださることがあります。 父がいなくなって2ヶ月ほど経った頃のこと、 ある方からお手紙をいただきました。 その女性のお父様のことを、年の離れた六輔が慕っていて 可愛がってもいただき、お付き合いのあった間柄だったと お手紙にありました。 そして、六輔が敬愛していたその方が亡くなられたとき、 娘であるその女性に宛てて、手紙が届いたそうです。 その手紙を大事にとっておいてくださり 六輔が他界したことを受けて、 その時の文面を…
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沖縄と六輔
今日、6月23日は沖縄《慰霊の日》。父は生前、日常的に全国を旅していましたが、特に多く足を運んでいた場所が沖縄でした。今はない《沖縄ジァンジァン》という那覇の小さな劇場で毎月トークショーを開いたり、RBC琉球放送でラジオ番組を10年以上続けていたこともあり、沖縄への旅は、300回以降は数えるのをやめた、というほど通っていました。父が初めて沖縄を訪れたのは、まだ本土復帰する前のこと。 私も幼い頃、父に連れられて復帰直前の沖縄に行っています。 車は右側通行、通貨は米国ドルだったのをうっすら覚えています。 日本の敗戦後、…
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巡るご縁と言葉
父はテレビ草創期には放送作家としてスタートし、まもなく自分も出演するようになりましたが、どんな番組でも出役だけの仕事はせず、必ず企画・作・演出に関わっていました。テレビなどの映像作品に限ったことではありませんが、真摯にもの作りをしている人は、出来上がったものを受け取る私たちの想像も及ばないくらいに、そして結果的に私たちが気づかないかもしれないようなところにも、 細部にまで気を遣い、考え抜いて工夫し、時間と労力をかけ、心身を捧げて何かを作り上げ、私たちに届けてくれている・・・それは、父が大好きだった《職人気質》とも言…
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誕生日
今日、4月10日は父の88回目の誕生日にあたります。今朝はお線香をあげながら、「お誕生日おめでとう」も付け加えました。誕生日のお祝いについては、かねがね父が言っていたことがあります。これはもともとは、父が若い頃から慕っていた映画評論家の淀川長治さんがおっしゃっていたことなのですが誕生日は自分が祝ってもらう日ではありませんあなたが生まれた時に一番大変な思いをしたお母さんに感謝する日ですお母さんが亡くなっているなら、お墓参りをする日にしましょう淀川さんも4月10日(1909年)生まれ親しかったイラストレーターの和田誠さ…
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生きているということは
東日本大震災から10年。 あの日、東北地方とくらべたらずっと被害の少なかった東京でも、 強い揺れの中で「もしかしたら、ここで死ぬのかな」と 一瞬、死を意識したことを覚えています。 そして、世界が新型コロナウィルスに翻弄されるようになってからの この1年以上、自分だっていつどうなるかわからない、 と思いながら過ごしてきました。 そして3月といえば、父が必ず思いを馳せていたのが 3月10日の東京大空襲。 この日も多くの尊い命が失われました。 私も忘れないように、ここで触れておきます。 今日の《ろくすけごろく》は歌詞です…
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いただきます
テレビを見ていて、ふと思ったこと。 ドラマでもバラエティ番組でも、食事の場面がよく出てきます。 そういう時、日本の風習として口にする「いただきます」。 ドラマであれば俳優が、きちんと両手を合わせて「いただきます」 と言う光景をよく見かけます。 これは、わたしの個人的な印象に過ぎませんが、 ひと昔ふた昔前と比べて、今の方が、テレビの食卓シーンで この「合掌+いただきます」をきっちり見せているような気がします。 台本のト書きに「両手を合わせて」とわざわざ 書いてあるとはあまり思えませんが、 若い人たちもテレビの中では、…
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放送
コロナ禍の只中で2021年になりました。状況はますます混沌としていますが、少しでも明るい年になりますように。今年もよろしくお願い申し上げます。私の話で恐縮ですが、昨年6月から、〈 NPO法人・放送批評懇談会 〉の中で微力ながらお役目を賜るようになりました。父は、戦後間もない中学生の時に、NHKラジオ「日曜娯楽版」にコントの投稿を始めたのをきっかけに、番組の主催者・三木トリローさんのお目にとまり、そこからテレビジョンの実験放送に立ち合い、テレビ局の開局に関わって、早稲田大学時代にはすでに売れっ子放送作家になっていまし…
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「忘年会」とは
2020年もあと半月ほど。今年はいつものような年末ではありませんから、集まってお酒を飲むような忘年会はなし、という方も多いことでしょう。その忘年会についてのろくすけごろくです。江戸時代には忘年会という言葉はありませんでした。「年忘れ」といっていました。その「年」は年齢の方の「年」です。いろんな世代の人たちが年を忘れて一緒に「お疲れ様でした」という会だったんです。 それがいつの間にか変わってきて、今では 「今年あった嫌なことは忘れちゃおう、新しい年が来るんだから気分も一新しよう」 というのが忘年会だと思っていませんか…
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こども時代の思い出
落ち葉の季節です。我が家の前の道は毎年大量に枯れ葉が落ちるので、今の時季は朝夕掃除しても足りないくらいです。道の掃除をしていると必ず思い出す話があります。今回の《ろくすけごろく》は六輔の言葉、というより、六輔にとっての思い出深いエピソードです。父が子供の時の話です。父は6人兄弟妹。昔の子供たちは、今よりずっと家の手伝いをしていました。年齢が上がるにつれてできる手伝いのレベルも上がるのでそれまでより難しい仕事を任せられるとうれしかったといいます。小学生の時、六輔少年は朝早く家の前の道を掃除する当番になりました。初日、…
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笑うこと
今年も残すところあと2ヶ月。「えっ、もう? 速い!」と言いたくなるのは例年のことですが、加えて今年は思ってもいなかったことばかり。年のはじめの計画通りに物事が進んだ人なんてほぼいないでしょう。想定外の事態に見舞われると、誰でも心に余裕がなくなります。ふと気づけばため息をついていたり、眉間にシワを寄せていたり。「ああ、大変だ」と思えば思うほど本当につらい気分になっていく時に頭の中で聞こえるのは笑える余裕を持ちましょうねという六輔の声です。父は人生において「笑い」の要素を何よりも大事にしていたな、と思います。大事なこと…
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智恵ある人に・・
5年前に父が他界したとき、感じたことがあります。「近所にあっていつでも行けた大きな図書館と大きな博物館がいっぺんになくなってしまった!!!」ようなショックです。ちょっとした疑問にぶつかった時、「ああ、これ、訊いたら絶対答えてくれただろうな・・・。これからは自分で調べなきゃいけないのか・・」と。そんな情けない娘がよく思い出す言葉。 知識があれば良いというものではないんです。 それを活かす智恵があって初めて知識が役に立ちます。 知識は文明、智恵は文化です。 そして、智恵というのは 自分よりも長く生きた人たちから学ぶ以外…
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立ち止まって、振り返って
長く続くコロナ禍の中、私たちは日常生活でいくつもの変化を余儀なくされました。その中には、今の時代だからこそ可能になったものも多いです。 春以降、私もオンラインの会議に参加したり、 友人とZOOMでおしゃべりするようになりました。 国内外を問わず、あちこちにいる人たちが画面上でお互いの顔を 見ながら話ができるなんて、子供の頃の自分からすれば、 これはほぼSFの世界だなあ、と思ったりします。 感染症に脅かされている状況では、“ かつてのSFの世界 ” が 実現していることによる恩恵は計り知れません。 その一方で、 日頃…
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歳をとるということ
自然の営みに目を向けて季節ごとの行事や風物詩を楽しむ、 なんていう余裕もなく過ごしている2020年・・・ そうしてふと気がつけば、8月も下旬、 わたくしごとですが今年も一つ歳をとりました。 父が言っていたある言葉が、ストンと腑に落ちるようになったのは、 人生の折り返し地点を過ぎたなと思う頃からだったでしょうか。 「誰だって、歳をとるのは初めてです」 当たり前すぎるほどシンプルなことなのですが、 言われてみると、「そうか、確かに!」と思いませんか? 自分が子供の頃を考えると、例えば祖父母は年齢に関わらず 最初から「お…
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八月は・・
今日の東京は夏の空。長かった梅雨、関東地方もやっと明けました。昨日まではセミの声もまるで夏の終わりのように聴こえていましたけど、今日は元気に鳴いています。今年は第二次世界大戦での日本の敗戦から75年になります。昭和20(1945)年8月15日。「終戦」という言い方もありますが、父がそうであったように、ここは「敗戦」と言う方が私はしっくりきます。戦争が終わった、というだけでなく無謀な戦いを続けた日本が負けた、負けを認めた日。そのことはぼやかさずに記憶に留めておきたいのです。8月はじめの《ろくすけごろく》この詩は201…
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弱きものの想い
永六輔はつねに小さきもの、弱きもの、少数派に目を向ける人でした。それはお寺の生まれであることに加えて、戦時中の少年期の経験から来ていたようです。浅草で代々続く寺に生まれた六輔少年は身体が弱く病院通いが続く子供でした。しかし、長引く戦争のなか疎開せざるをえなくなり、とても細いご縁をたよりに縁故疎開します。疎開先で待ち受けていたのは、いじめでした。学校単位の集団疎開と違って友だちはいない。東京から来たひ弱なお坊っちゃんで、しかも名字は日本由来ではない「永」。現地のやんちゃぼうずたちは、永少年を敵に見立てて戦争ごっこをし…
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笹の葉さらさら
この週末は東京都知事選挙です。新型コロナウィルス対策という重い課題の真っ只中、そして今となっては誰もその開催に100%の確信を持てなくなっているオリンピックに対する考え方も含めて、全国的にも注目される選挙で、誰が都知事に選ばれるのでしょう。これだけハッキリとした課題に直面している今だからこそ、せめて少しでも投票率が高くなることに期待しています。旅が多かった父は、何の選挙でも必ず期日前投票に出かけていました。投票日に行けるかもしれない時でも、とにかく投票できるときにさっさと済ませてしまっていたのを覚えています。私もこ…
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見つめること
新型コロナウィルスに翻弄されるなかで過ぎた2020年の春。外出自粛を求められて過ごした前代未聞の生活にあって、私を含めて多くの人たちがいつも以上に政治のあり方・動きに注意を払うことになりました。家で過ごす長い時間に、それまで見ることもなかった国会中継を見て、「政治は政治家に任せておけばいい」という認識がぶっ飛んだという若い人もいました。検察庁法改正案に対してのツイッターデモが大きなうねりを生み出し、国民一人一人の発信が政治に影響を与えることができるのだと実感した人も多かったと思います。コロナ禍の危機感が社会全体を覆…
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新装開店
永六輔ホームページへようこそお越しくださいました。 このサイトは、永六輔が他界した後に作りました。ホームページ全体を制作したのは孫の育之介。プロではなく家族の手作りです。 生前の父はパソコンやインターネットとは敢えて距離を置いていました。携帯電話すらなかなか持とうとしなかった人ですから、自分のホームページがインターネット上にあると知ったら、きっと照れ隠しに「へえーっ!?そんなものがあるの。まあ、君たちに任せます」とでも言うでしょうか。 ホームページ開設から丸3年、このたび新装開店しました。 トップページを開くと泳い…
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